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雇用契約
2006年 10月 08日
「働く男」って曲がユニコーンにあったけど、最近は働く事について考える事多し。
大卒後そのまま就職し働いていた時は全く意識しなかったけど、何らかの組織において働くという事は、雇用契約を結ぶという立派な主体的行為なんだという事を再認識中。 再度雇用契約を結ぶに当たり、年間労働時間なんて数値にも関心持つようになったけど、日本では平均2000時間弱だそうな(実際は残業等でもう少し長いんだろうけど)。何だか生活の3分の2位を仕事が占めるように感じるけど、実際は一年8760時間の4分の1にも満たない。長く感じるのは主体性の低さというか、気の持ち方によるものか。 雇用契約を自分の意思で結んでいるのに、自分の意識が低いからなのか、また使用者の立場が強いからなのか、自ら契約を結んだ主体性がいつの間にか薄れ、「働かされている」という感覚に陥り易いような。。忙しかったりすれば尚更。 「忙」という字は「心」を「亡」くすと書くけど、自分で選んだ仕事なのに「忙しい」とか「働かされている」とか感じてしまう時は、主体性という心を亡くしてる状態なのかなあと思えます。 でも労働者側は使用者と違い自分の都合で契約解除しようと思えば出来る(=一身上の都合)訳で、組織において働いていても「働かされている」のでは無く、やっぱり自ら進んで「働いている」のです。嫌なら辞めればいいだけの話で。 自分はさほど仕事の不満を訴える方では無かったけど、それでも今思えばどこか「働かされている」ような感覚というか、主体性をやや失っていたような気もする。一度会社辞めたり無職やアルバイトを経験して、仕事観みたいなものを見直す機会を得たのかも。 要は気の持ち様というか、どういう形で働くにしろ「心」を「亡」くさず、主体性を常に忘れない事が大事なんだなあと改めて思う次第。
by ex-keita17
| 2006-10-08 00:57
| 雑記・雑感
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