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のんびりといきましょう

by ex-keita17
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【教科書採択】 教育権の所在はどこに?
<つくる会教科書>都立の中高一貫校と養護・ろう学校が採択
 東京都教育委員会は28日、06年度から都立中学と養護・ろう学校で使用する歴史教科書に、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した扶桑社発行の教科書を採択することを決めた。対象になるのは都立の中高一貫校4校と養護・ろう学校の中学部21校で、来年度から4年間、使われる。養護・ろう学校については公民の教科書でも採択が決まった。
 
 事前に開かれた教科用図書選定審議会は採択の資料として、各社の教科書の分量や表現などを調査。特に「北朝鮮による拉致の扱い」「わが国の領域をめぐる問題の扱い」などについて、各社の内容を比較した。
 委員会は都庁で午前10時から始まり、6人の委員が全員一致で「つくる会」の教科書を選んだ。



 栃木県大田原市に続き、東京都も「つくる会」を採択したそうです。「あの」石原氏が知事をする東京都なので、そんなもんだろうなあと思ってしまいます。

 憲法を勉強していると「教育権の所在」が大きな論点として登場しますが、まさに教科書採択の場面なんかでこの教育権 = 教育内容を決定する権利が問題となります。以下簡単にまとめてみます。


【国家教育権説】
 教育権の主体は国家であり、国家は公教育を実施する教師の教育の自由に制約を加えることが原則として許される。

【国民教育権説】
 教育権の主体は親を中心とする国民全体であり、公権力のなすべきことは国民の義務教育の遂行を側面から助成するための諸条件の整備に限られ、公教育の内容および方法については原則として介入できない。

 上記2説を折衷した下記折衷説が通説とされています。

【折衷説】
 教育の本質からして教師に一定の範囲で教育の自由が認められると同時に、国の側も一定範囲で教育内容について決定する権能を有する。
 両者が衝突する場合でも、子供が自由かつ独立の人格として成長する事を妨げるような国家的介入、たとえば、誤った知識や一方的な観念を子供に植え付けるような内容の教育を施す事を強制するようなことは、憲法26条/13条の規定からも許されない。(最高裁:旭川学力テスト事件判決参照)


 教科書採択について、以前は採択過程で教師が関わっていましたが、近年は採択過程から教師を排除し、公権力が一方的に決定する流れが強くなっています。こうした流れをみると「国家教育権説」的な動向が強まっているように感じられます。

 このような動向に対しては賛否両論ありますが、結局「個人と国家の関係」をどのように捉えるかという価値観に左右される問題なのでしょう。個人よりも前にまず国家ありきと考えれば国家教育権説に流れるでしょうし、国家を構成するのは他でもない個人だと考えれば国民教育権説に流れるでしょう。


 学力の低下や教育の質の低下が叫ばれていますが、公権力が一方的に教科書を選び、現場の教師に教育権を認めず一方的に従わせるような体制で、果たして教師がやる気を持って取り組めるんだろうかとちょっと疑問になります。

 自分の高校時代の日本史の先生はとても熱心な先生で、教科書はあまり使わず自作プリントを毎週作成し、我々生徒に様々な問題提起をしてくれました。そのおかげで日本史が好きになり、大学受験では得点源となってくれました。

 アノ先生がもし現在東京都の教員だったら、きっとやる気を失うだろうなあなんて思ったりします。教員を公教育の道具としかみなさないような社会になったとしたら、生徒にとって魅力ある教育は出来ないのではないかと感じる次第です。
by ex-keita17 | 2005-07-28 14:16 | ニュースを読む